「もう!昨日の自学最悪やった!!」自学(自由な学校)のミユが、朝の送迎でとても怒りいっぱいで腹を立てていた。聞くところによると、男の子たちの遊びに巻き添えをくらってマットで叩かれたことをずっと腹に溜め込んでいるようだ。「そうなやなぁ。嫌やったんやな」と聞くと「今日は一日復讐する!」と、自学に着くやいなや、「ベー!」とあっかんべーと復讐宣言をしてオナモミ(ひっつき草)をせっせと集めて追いかけては投げつける。なんとも朝から妙な復讐劇が展開されていた。
ともに過ごすのんのん(インターン研修生)も、大きなトラブルにならない範疇で関わる。しかし、どうにもこうにもミユの怒りは収まる気配はない。のんのんも「怒ってるんよな。嫌やったんよなぁ」とかれこれ1時間近くなんとか怒り心頭なミユの気持ちにアクセスしようと奮闘している。どうにもならない怒りにも真摯に向き合っていた。
すると突然「本当はあのとき一緒に遊びたかったのに、遊べなかったのが悲しかったの・・・」とポロポロと涙を流しはじめたのだ。「そうかぁ。悲しかったんやな」今までの怒りはどこへやら深い共感的であたたかい場に変化していった。
みんなの学校では、たくさんの気持ちと出会うシーンが多々あります。嬉しいこと、楽しいことも、好きなことも。もちろん。それと同様に世間一般のネガティブに扱われる怒り、悲しみなどの感情も大切にされてます。怒りは誰にもある当たり前の感情です。怒りは抑え込むと自分に向かうことにもなります。(身体症状や自傷行為など)怒っちゃいけないのではなく。また怒りに振り回されるのではなく。どう怒る自分と向き合っていくか知り付き合っていくかを学ぶ現場なのです。
心理学の世界では、「怒り」は二次感情とも言われています。怒りの手前に一次感情「不安・寂しい・つらい・悲しい・心配・苦しい・落胆・悔しい」があります。手前に感じている一次感情に気づくことから自分を知り、向き合い、助けることに繋がるのです。ただ、その作業はひとりでは難しいと感じます。誰かに聴いてもらうことや、ともに共感的によりそってくれる仲間が必要だと感じます。
ここでは、関わる大人たちも学ぶ現場です。スタッフ含め大人たちも自分自身のその気持ちや感情にマル、バツをつけずに向き合おうとすることの繰り返しです。大人たちも互いにありのままを受容していくことが、子どもたちにとってよりよい現場になるのです。
きりかぶのめバックナンバー
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- 自分とのつながりを。小さくてもある。大きくてもある。(第11回)-きりかぶのめ
- 怒りプンプン!!でも…本当は悲しかったの!(第10回)-きりかぶのめ
- 自分の理解者を増やしていく。信頼を取り戻し。自分の表現が生まれる。(第9回)-きりかぶのめ
- 自分が起点になれば、すべてが遊び、すべてが学び、すべてが楽しい。(第8回)-きりかぶのめ
- 困っていることを素直に言えない自分。ガマン、ガマン。 (第7回)-きりかぶのめ
- なにか手応えのある生き方「自分を生きるチカラ」(第6回)-きりかぶのめ
- やらされてる?とりあえずやっている?やりこんでる?(第5回) - きりかぶのめ
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- 過不足のない関わりの中で、のびやかに自分になっていく(第3回)-きりかぶのめ
- なにが人生の宝物?~自分の人生を生きることと自己肯定感~(第2回)-きりかぶのめ
- 遊びがわたしの軸になっていく(第1回)- きりかぶのめ